はだしのぼくに、ビーチサンダル/u.w.

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#からだの音
 ベッドに横になり、天井を見上げる。苦しい。ブラウンのベッドシーツに顔を沈める。やっぱり、苦しい。からだの音がうるさい。左耳がこぽこぽいう。中耳炎かしら。喉からも、変な音がする。これも全て、冬のせい。寒く乾燥すると、持病がむくむく頭をもたげる。鼻も喉も壊れてしまう。なんて苦しい夜。加湿器も、ゆたんぽも導入したけれど、大丈夫なのかな。

 私たちは、南の人間だから、と母さんが言う。北半球の冬は苦手だ。からだが悲鳴をあげるから。
2009.11.19 Thursday ... comments(0) / -
#notas
 錯乱、という訳じゃない。でも、私は大分混乱していて、やっぱりおかしかった。躁状態になっていて、これはまずいぞ、とどこかで冷静に考えている自分もいた。落ち着かなくちゃ、と思って、必死になった。だけど、落ち着けない。私は、普段は聴かない音楽やなんかを聴いた。f*ckなんて言葉がでてきたりするような歌を。私には言えない言葉たちを、代弁してもらった。でも、あの噴火のような感情はなんだったんだろう。私に、あんなエネルギーがあったなんて、信じられない。いや、外には出ていない、内側で起こった変化なのだけれど、すべて。

 でも、こういった自分の狂気は、今に始まったことじゃない。昔から、私にはこういう感情の起伏があって、それから考えれば、今の私は仏のような静けさを保っている。
2009.11.17 Tuesday ... comments(0) / -
#起きたら雨、夢の考察。
 おはよう、と第一声。今日は、健康的な時間に目を覚ました。ぱちり、と覚醒して、時計を確認する。午前六時十二分。「お、」と思う。ちょっとだけ、得した気分になる。しばらく、ベッドでごろごろしながら、twitterのお返事をする。昨晩は、twitterをやりながら寝たんだった、とそのときになって思い出す。

 今朝起きたとき、ほんの一瞬前までみていた夢のことを、一瞬にして忘れてた。でも、しばらく、じっと思い出そうとした。すると、やっぱり糸口は見つかるもの。するすると情景が脳裏に蘇ってくる。最初に戻ってきたイメージは、母さんの姿。ベッドで寝ている私の世話を焼いてくれている場面。これが一番最初に戻ってくるとは、と少々呆れる。でも、そう、私が今一番欲しいのは、家族からの愛情、attention。常にかまってもらいたいのです。ベッドのシーツを直してもらうなんて、もう絶対にされないし、させないことだけれど、そんなことを夢にみるというのは、まだまだ自立できてない証拠ね。でも、思い出すと、ちょっと口元が緩んでしまうの。

 もう一つ、戻ってきた情景。私とKさんが、一緒に歩いているところ。どこかの街の、どこかの踏切を、私がのろのろと渡っている。すると、踏切の音がし始める。でも、私には聞こえていない。Kさんは、そんな私に近づいて、そっと私の肩を抱く。無言ながらも、「はやくおいで」という言葉が伝わってくる。私は、Kさんに肩を抱かれたまま、そこに居着いてしまう。あったかくて、気持ちよくて。歩きながら、ちょっと後ろを振り返った。踏切の棒は、もう下に降りている。だけど、やっぱり音は聞こえていない。だけど、Kさんの言葉は伝わってくる。このままずっとこうしていたい、と思った。ぽわんと、感じる幸福感。満足感。安心感。
 でも、夢の中でさえどこか冷静な自分がいるんだ。そんな冷静な私は、自分の姿にはっとして、急いでKさんから離れようとした。すると、私の携帯に着いてるストラップが、Kさんのベルト穴に引っかかって、なかなかとれなかった。結局、Kさんは「そのままでいいじゃない」と言って、また私をぎゅっと抱き寄せるのです。私は、素直にそこに居直って、そのまま歩いていったの。どこか、知らない場所の、知らない道を。
 朝起きてすぐに、これは恋だと思った。恋の芽生えが、この夢にはあって、って。でも、恋の芽生え、と書いて違和感が生まれた。違う、そんなんじゃない。あれは、恋が芽生えた瞬間ではなく、認めた瞬間だった。いや、やっぱり違う。夢に出るということは、その恋が既に終わっていることを表す、と次に思った。でも、この答えにも疑問が残っている。
 私は、もしかしたら、ずっと前からKさんのことを好きだったのかもしれない。だけど、それに気づかず、今までやってきたのかな。そう考えると、私が大事にしてきた想いはどこにいってしまたのかしら、と不安になる。この八年間、ずっと大事に抱えてきていた想いは、どこへいってしまったのか。でも、よくよく考える。私の想いは、もう消えてなくなっていたのかもしれない。私が抱えていたのは、空っぽの箱だったのかもしれない。ここ数ヶ月、感じていた変な感じは、振っても音のしない箱を抱えてることへの違和感だったのかしら。そうだとしたら、私はもう箱を置いていくべきなのかもしれない。また、何も箱の中に入れないように。
 ...とはいいつつ、Kさんへの想いも、もうきっと箱の中だ。私がその人の夢をみるとき、大体の場合、私はもう諦めていて、自分の中で感情の処理し終えた後なのだから。いつもそうだった。そして、今感じるこの虚無感やなんかも、今までの感じにとてもよく似ているの。理性が、感情に圧勝してしまう瞬間。私は、その小さい箱に、厳重に鍵をかけて、常に監視してる。それが動き出さないようにって。でも、こういう生き方は辛い。わかっているのに、違う生き方ができない私は、おきあがりこぼしによく似てる。

 これは、禁欲の精神?

 でもね、夢の中の私は、なんであんなに素直なんだろう。現実では、あり得ない素直さ。普段だったら、絶対にあんな反応はしない。でも、素直な私だって、どこかにいるはずなんだ。その素直な私、っていうのは、私が感情と一緒に箱にしまっているのかもしれない、とふと思う。考えるのが面倒になってきた。朝から雨だし、足も寒い。こんなのことより、課題の準備をした方が有意義かもしれない。だから、いったんピリオド。いや、もしかしたらコンマ。


 昨晩のことは、近いうちに、そのうちに。記録として残します。残します。
2009.11.17 Tuesday ... comments(0) / -
#working saturday
 土曜日。いつもよりも早く起きて、大学へ走った。今日は、指定校推薦入試のお手伝い。土日に休めないのは、いつものこと。だけれど、ベッドを離れるのが辛い季節になってきた。ベッドの包容力って、本当にすごい。でも、そんなことは言っていられなくて。
 今朝は、雨降りだったけれど、昨日よりはずっと暖かかった。だから、朝から出て行くことができたのかもしれない。大学では、私が一番のり。後輩たちを、素直に待った。家が近いというのは、こういうとき得するのだけれど、逆に少し寂しくなったりする。
 
 入試の手伝いをするのは、これで二回目か、三回目か。オープンキャンパスとは違って、随分と楽な気持ちでいられるのが良いところ。大学をアピールすることよりも、お迎えする気持ちでいられるせいかもしれない。それに、私たちが緊張していたら、受験生まで緊張してしまうから。落ち着いて、しっかりと対応してあげるのが一番。
 でも、こういうときの、自分自身の変貌ぶりに驚く。人前で話すことに戸惑いは感じない。もう慣れっこだから。だけど、普段の落ち着きのなさや、挙動不審は、人前にでるとすーっとおさまる。そして、自分でも驚くくらい冷静になれる。自分の脳波がどうなっているのか、どんな状況なのか、と気になったりするくらいに。今日も同じ調子で、私は仕事をしたのです。

 入試の仕事をしていると、高校生の視線やひたむきさに胸を打たれるときがある。彼女たちは、とても素直に喜びを表すし、照れたり、緊張したり、笑顔になったり、不安そうになったりする。私は、彼女たちの視線に戸惑うときがある。でも、それは表には出さない。彼女たちに近づいて、そっと話しかける。すると、彼女たちの視線はもっともっと美しいものになって、ようやくその場を離れることができる。これは、過保護といえばそうなのかもしれないけれど、高校生を前にして、私はお姉さんになった気持ちになってしまうんだ。たまに、こういう仕事をするのが自分には向いているのかもしれない、と思う。だけど、こういう仕事は大学生がやってこそなんだろうな、とも冷静に思う。何かに真剣に向かう人々の目って、素敵だから、ずっとみていたいのにね。

 working saturday、そして明日はworking sunday。こうやって日々の疲労は蓄積していくのだけれど、それでも真剣にがんばらなくちゃね。優しさは忘れないように。明日も朝は早い。
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2009.11.14 Saturday ... comments(0) / -
#as vozes
 寝る前にどうしても書きたいことがあったから、電源を落とす直前で、またブラウザを開いた。

 ここ二日間くらい、ずっとブラジルの声を聴いている。昔、よく聴いていた音楽たち。ブラジルで、一番強く生きなくちゃいけなかったときに、私を支えてくれた声。音楽。私に安心や、落ち着きをくれる声。音楽。私は今、すごくすごく、つよく、生きたいと思っている。そういった欲求が、私をまたあの声の元に導いてくれたのかもしれない。だから、昨日の夜、ブログを書いて改めて思ったの。私は、もっと強く生きられるって。つらいことも、いやになるようなことも、じごくも、ぜつぼうも、いろんなことをのりこえてきたんだからって。だから、今の絶望感なんて、そんなにたいしたことないって、ふと思えるようになった。ブラジルで生きてきた記憶が、今でも私を「生」へとつなぎ止めていると思う。私には、私を愛してくれる国がある。今はそこで生きられなくても、私はきっとそこへ戻って、私が愛した場所で、太陽の光や、緑の草や、大きく揺れる木の影や、冷たい南風や、地面を鳴らす雷や、春の嵐に愛されながら、強く静かに生きていくんだ。きっと、きっと。だから、私は死なないで生きる。そう思えたら、気分がすっと軽くなって、ここ数年まれにみる軽い、さわやかな気持ちになれたの。躁鬱病だって言われるかもしれないけれど、それでも、この軽い幸福を感じられるなら、私はそれでもいい。

 よし、寝よう。おやすみなさい ao mundo. 私の愛するすべての現象たちへ、こころからよいゆめを。

2009.11.13 Friday ... comments(0) / -
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